渋沢栄一翁とYEG

渋沢栄一翁と商工会議所

2024(令和6)年7月3日、渋沢栄一翁を肖像とする新一万円札が発行されました。財務省が渋沢栄一翁を選定した理由は、「傑出した業績を残し、長い時を経た現在でも私たちが課題としている新たな産業の育成といった面からも日本の近代化をリードし、大きく貢献した」というものでした。この傑出した業績の中に、私たちが日頃より活動の場としている商工会議所の設立も含まれています。

日本には、現在515の商工会議所があります。私たちが所属する商工会議所青年部は、商工会議所の下部組織です。商工会議所は、地域の商工業の総合的な改善発達と社会一般の福祉の増進に資することを目的とする団体として、中小企業の活力強化や地域経済の活性化のための様々な活動を行っています。

日本における商工会議所の起こりは、1878(明治11)年に設立された東京商法会議所です。その設立発起人の一人となり初代会頭に就任した人物こそ、若き日の渋沢栄一翁です。

渋沢栄一翁は、1840(天保11)年に武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市)で生まれた実業家です。彼は日本資本主義の父とも称され、生涯500余りの会社設立・育成に関与し、600余りの社会公共事業にも携わった、日本近代社会の礎を築いたと言われています。

東京商法会議所の初代会頭に就任したときの渋沢栄一翁は満38歳。私たちと同世代の青年経済人でした。渋沢栄一翁は1905(明治38)年まで約27年にわたり東京商法会議所(現在の東京商工会議所)の会頭を務め、「商人の輿論(よろん)をつくる」べく、その代表として尽力し、商工会議所の礎を築きました。

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渋沢翁経済哲学ピックアップ!

道徳経済合一説

渋沢栄一翁は、その経営哲学として「道徳経済合一説」を唱えました。1916(大正8)年に初版が刊行された「論語と算盤」でも

私が常に希望するところは、物を進めたい増したいという欲望というものは、常に人間の心に持たねばならぬ、しかしてその慾望は道理によって活動するようにしたい、この道理というのは仁義徳相並んで行く道理である

出典:渋沢栄一『論語と算盤』(国書刊行会 1985年)

と述べられているのが参考になります。

ここでの道徳とは、利益を少なくして欲望を捨て去るというものではありません。渋沢栄一翁は、企業の目的が利潤の追求にあることを当然のこととしながら、
道徳の欠けた経済活動は他者から奪いつくすのみで永続性がないこと
経済活動を無視した道徳は衰弱を招くこと
を指摘して、道徳と経済のいずれが欠けてもならないものと説きます。

道徳経済合一説は、道徳と経済とのどちらかに偏らないように、ほどほどにしようという発想ではありません。

利を図るということと、仁義道徳たる所の道理を重んずるという事は、並び立って相異ならん程度において始めて国家は健全に発達し、個人はおのおのそのよろしきを得て富んで行く

出典:渋沢栄一『論語と算盤』(国書刊行会 1985年)

と述べられているとおり、利己主義によらない経済活動と、経済活動の社会への還元を実践することで社会を豊かにし、結果として企業も発展していくことになるのです。

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大立志と小立志

志とは「こころざすこと」、「こうしようと心に決めたこと」という意味がありますが、渋沢栄一翁は『論語と算盤』の中で「志を立てる」(立志)についても触れています。

志には、自分の一生涯に歩むべき道ともいえる大きなものもあれば、その時々の状況に応じて生じる希望や目標といえる小さなものもあります。渋沢栄一翁は、前者を「大立志」、後者を「小立志」と呼び、『論語と算盤』の中で

大なる立志と小さい立志と矛盾するようなことがあってはならぬ、この両者は常に調和し一致するを要するものである。

出典:渋沢栄一『論語と算盤』(国書刊行会 1985年)

と説いています。

渋沢栄一翁は、『論語と算盤』において、
大立志は人生にとって大切な出発点である。自身の長所や境遇に照らして熟慮し、一生を貫いてやることができる確かな見込みが立ったときに立てるもので、後になってコロコロ変えるものではない。
大立志が根幹であれば、小立志は枝葉であるから、大立志と矛盾しない範囲で工夫して立てていくことが大切だ。
と述べます。
人生の骨組みとなる大立志(生涯の目標、生き方)を実現するために、骨組みを修飾する小立志を大立志に沿って立て、立てた志から外れずに生きれば人生において間違いが起こるはずがないと教えています。

渋沢栄一翁は、自身の大立志について

最後に実業界に身を立てようと志したのがようやく明治四、五年の頃のことで、今日より追想すればこの時が余にとって真の立志であったと思う

出典:渋沢栄一『論語と算盤』(国書刊行会 1985年)

と振り返っています。
渋沢栄一翁は幕臣となり、明治新政府で官僚となった後に、1873(明治6)年に大蔵省を辞して実業の世界に飛び込みました。渋沢栄一翁は自らの来し方を回顧して、青年に向けて

惜しいかな、青年時代の客気に誤られて、肝腎の修養期を全く方角違いの仕事に徒費してしまった、これにつけてもまさに志を立てんとする青年は、よろしく前車の覆轍をもって後車の戒めとするがよいと思う。

出典:渋沢栄一『論語と算盤』(国書刊行会 1985年)

との助言をしています。

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自ら箸を取れ

『論語と算盤』には、青年に対する叱咤激励として「自ら箸を取れ」とのメッセージが記されています。豊臣秀吉の立身出世を例に挙げ、

何か一と仕事しようとする者は、自分で箸を取らなければ駄目である。

出典:渋沢栄一『論語と算盤』(国書刊行会 1985年)

と述べました。これは、先達はわざわざご馳走を食べさせてくれるほど暇ではないのだから、例え優秀な人材だろうとただ口を開けて待っているだけでは誰も取り合ってくれない、自ら箸を取り食べに行けというお話です。

「チャンスは自らつかみに行け」ということですが、この話には続きがあります。つかみ取ったチャンスが些細な仕事であっても、自分の能力に釣り合わないと不平不満を述べて粗雑に取り組むようでは大きな仕事は任せられない、つかんだチャンスを最大限に活かせという教訓です。『論語と算盤』では

与えられた仕事にその時の全生命をかけてまじめにやりえぬ者は、いわゆる功名利達の運を開くことはできない。

出典:渋沢栄一『論語と算盤』(国書刊行会 1985年)

とあるとおり、社業でもYEGでも積極的に機会を求め、小さなことでもしっかり取り組む姿勢が重要だということですね。

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知るべきは、渋沢栄一翁だった!青年経済人よ、みずから箸を取れ!

こちらの動画は、青年部会員であればダウンロードできます。
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