出水YEG/【あがれ!1トンのYEG御輿!】 第41回 夏祭りいずみ鶴翔祭
ブロック:九州ブロック
道府県連:鹿児島県連
単会名:出水YEG
事業名称:【あがれ!1トンのYEG御輿!】 第41回 夏祭りいずみ鶴翔祭
開催日:2023年7月23日
開催場所:出水市本町通り商店街
開催目的・内容:【目的】
多くの市民が集まる夏祭りで大きな手作り御輿を担ぎ、家族や、地域の方に出水YEGの魅力を認識してもらいます。また鹿児島県連の仲間や、地元のJCや消防、行政等の青年団体にも声かけをし、共に祭りを楽しむことで絆を深めることを目的とします。
【内容】
市民を対象とした盆踊り大会のなか、1トンある巨大御輿を担ぎ、商店街を練り歩きます。
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私たちの住む出水市は総人口52,000人の、あまり大きな都市ではありません。そんな街に想いの沢山つまった大きな手作り御輿が存在します。そのエピソードを紹介させていただきます。
(YEG御輿爆誕)
今からさかのぼること15年程前、鹿児島県連会員大会を控えていた私たち出水YEGメンバーは、前年度の大会開催地の霧島YEGと交流することが多くあり、霧島の夏祭りに参加する機会をいただきました。そこには2基の御神輿が鎮座しており、国分寺御輿競走が開催されます。夏祭りの盛り上がりを肌で感じた当時の平山会長はじめ先輩たちが感銘をうけ、「出水でもこれをやらなければならない」と号令がかかりました。
とはいえ、御輿を購入できるほどの予算はありません。ですが異業種の集まりYEG。自分たちで作ることが決まりました。
加工、組み立ては建築関係の会員が担当となりましたが、問題となったのは設計の部分です。白羽の矢がたったのが、出水YEG随一の頭脳派、金物屋の吉村先輩でした。当時は何でもネットで調べられる時代ではなく、「見よう見まねで作ってみたよ」と持ってきた設計図。それを元に一流の建築集団が木材を組み立てます。設計でこだわった部分は強度。折れたり倒れたりしたら危ない、確かにそうです。太い丸太が6本、その上にふたりが乗れるスペース、夜に使うからとのことで多くの電飾。完成したときの第一印象はとにかくでかい。そして重い。しかし、安全を犠牲にはできません。こうして1トンある出水YEGの御輿が誕生しました。
(YEG御輿の進化)
各年度でその年の会長や担当委員長が自分の想いを御輿で表現します。11年前の辰年には巨大なドラゴンを御輿にのせ、煙を吐く演出をおこなったり、御輿の上で会長が北島三郎の「まつり」を熱唱した年もありました。
そんな中いちばんのこだわりがあったのが、本年度の出水YEG会長の町田君が委員長として制作を担当した時だったように思います。
「屋根ですよ、屋根。くるんが欲しいです。」
その言葉を今でもはっきり覚えています。それまで御輿の上部分には屋根はなく簡素化された光る箱がのっていた状態でした。御輿の制作に使える予算は今回も僅かです。くるんの部分を作ったことがあるメンバーがいるはずもありません。ですが異業種の集まりYEG。卒会間近の内装工の片山先輩、入会したての大工の桑原君が中心となって制作が始まりました。知らないうちにYEG御輿は幅広い年齢層の交流を深める存在となっていました。お披露目のときの驚きは忘れることができません。見事な唐破風屋根(からはふやね)そして、見事にくるんとなった蕨手(わらびて)。最高の出来栄えです。もうひとつのこだわりだった縦長の提灯も予算いっぱいで購入し、取り付けをし、現在の出水YEG御輿が完成しました。
(コロナ時代の突入)
令和元年度後半からコロナが猛威をふるい、出水でも軒並みイベントが中止になり、「夏祭りいずみ鶴翔祭」にも同様の判断がくだされました。YEG御輿は倉庫で3年の眠りにつくこととなります。
(YEG御輿復活)
本年度倉庫を訪れてみると埃まみれの状態ではありましたが、しっかりとした土台、そびえ立つ唐破風屋根(からはふやね)、蕨手(わらびて)、各年度の先輩たちのこだわりの部分、そして蓄積された情熱、失われているものは何ひとつありません。隙間から差し込む太陽が御輿を照らし、新しい時代に連れ出してほしいと言っているようでした。丁寧にふきあげ、緩んだ縄を結び直し、いざ本番です。
町田会長の合図で肩入れを行い、次の合図で御輿が持ち上がります。「ソイヤ!ソイヤ!」のリズムで一歩ずつ一歩ずつゆっくり御輿が進んでいきます。沿道からは大きな声援が飛び交い、担ぎ手は足並みを気にしながら前を向きます。ボルテージが上がったその時、会場がひとつになり、出水の街に夏祭りが帰ってきた瞬間が訪れました。
夏祭り最高!出水最高!YEG最高!
(最後に)
このYEG御輿は我々出水YEGが年間を通して、どのような活動をし、皆様からどのような評価を得ているかのバロメーターにもなると考えています。今年度は現会員、他団体様から本当に多くのお手伝いをいただき、そして多くの市民が声援を届けてくださいました。コロナが流行してからの3年間の活動が間違いではなかったと改めて感じています。これからも、市民が憧れ、頼りになる団体となれるよう、研鑽をすすめてまいります。
そして今回このような応募の機会をいただき、ひとつの事業の歴史や先輩方の想いを思い返すことができ、1年1年の積み重ね、継続していくことや変化していくことの重要性、気づくことが多くありとても感謝しています。
本当にありがとうございました。